2011年8月10日水曜日

「こそぎだしちゃってください。」

汚れたブラシを手で
こする音だけが
暗い蛍光灯が点いたトイレに響く
「コソギだしちゃってください。」と彼は言った。
そんな細かいとこまできちんと
便器のそうじすんのかよと思ったが
黙ってその通りにやってみると
排水管へとつながるアミのかかった
ところをゴシゴシやると茶色い汚れが
削れ白い元の陶器が現れた
夜のバイトは生まれて初めてで
センパイのサトウさんは
目と眉毛が顔の中心に集まり
長身で痩せていて夜のシゴトは
慣れた風だった。



hitomiのcandy girl
が話し声を聞けないくらいの
大音量でかかっていた
お気に入りCDの自分がよく聴いてた曲は
店のスタートで店長が必ず使い
僕は壁を背に突っ立って
注文などを待ちながら
彼が小さなデスクで右手の指で
その小室さんの曲のベースに合わせ
調子を取るのが目に入った


烏龍茶はガス湯沸かし器から
のお湯をやかんにパックを入れ作る
ウイスキーはオールドのボトルに
ホワイトを流し込む
店の女の子に店内では話しかけてはならない
店のオキテなのか何しろ
厳命っぽいことが沢山ある



「最近、他の女の子のプライベートなことを
聞かれもしないのにお客さんにペラペラ
しゃべっているという話が結構でてます。
理由は分かりませんが、
子供がいるとか
旦那がいるとか
お客さんが興ざめするようなことは
言わないように。
ばらさないように。
自分も言われたら困るだろ。
指名つけたいのは分かるけど
結局自分にかえってくるからね。」
深夜のドラマで見たようなセリフを
僕にさっきパシリをさせたサカマキ店長が
しみ一つない青白い寝起きの顔で
ウグイス色のスーツにフィッチェウォモの
まだら模様のひどく趣味の悪いネクタイをし
朝礼で話していた
もちろん午後五時なのだが


女の子たちは
みんな各々色の違う浴衣を着て
真面目に彼の話を聞いているコ
いつもそうなのか下を向いているコ
身に覚えがありそうなコも二人くらいいた
今日から浴衣祭りで
店内のそのポスターは僕が描いた
水彩ポスターなんてかいたのは
中学以来のことだった




「やられました」
サトウさんが店長に報告していたのは
僕が店に入って1週間もたたないころだった
昨日入った二人組の店員はまだ出勤していない
彼と一緒の寮の古いマンションに
昨晩は泊まったはずだ
「さっき三時くらいに起きたら
二人ともいなくなってて
カバンもなにもないんで
なんだ一日でヤメたのかよって思って
で、メシを買いにいこうと思って
服の中の財布だしたらカネ抜かれてました。」
金額はなんと十万円で理由を店長が聞くと
買い物のため給料を引出しておいての被害で
二人の履歴書の連絡先はデタラメなのが
その場で電話をかけてすぐ分かった
念のため被害届を出すかと
店長が聞いたがサトウさんはやらないと答えた


今日も
午後5時半から午後11時まで
男たちが次々とやってきて池袋の公園脇の
風俗店のベンチシートに座って
彼女たちに小一時間の快楽を与えられ
帰っていった
僕はシルバーを小脇に抱えながら
ピンク色の薄暗い店内に集中していた

否応無しに働かざるを得ない
シングルマザーも
テーブルポーカーで毎日20万
すってしまうコも
街金から500万の借金逃れの
時効を待つ店員のサトウさんも
僕が来て3日でとんだメンバー君も




生きていた






























必死に。





たった3週間程度のバイトで
もう20年くらい前のことだが
脳裏に収録された記憶映像情報は
フルハイビジョンを圧倒するほど
せつなく鮮明で
色あせてはいない
数年前池袋のついで
周辺の様子は随分変わっていたが
公園とその店の看板は
当時のままだった


サカマキ店長は
「Smith, お前どこでもやっていけるから大丈夫だよ、
俺はもう少しやってほしかったけどな。」
ヤメたいと話したそのときにそう言った。
新卒で最初にホメられたときより
僕にとっては百万倍うれしく
それきりだったが






あれから彼とは一度も会っていない





 Liflux   life flux.






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