2011年12月15日木曜日

「 カモメのジョナサンの話はきいたことある?」





「  カモメのジョナサンの話はきいたことある?」



「あるある、ジョナサンはとぶことに命かけてチャレンジしててそればっかなんだけど
他のカモメは毎日毎日食うために飛び回らなきゃならないんだ、物語のなかでは。   」


「やっぱよくおぼえてるね、なんでみんな物語を知ってるんだろうね?」


「なんだか面白いんだよね。」

「そう、引きつけられる何かがあるんだよな、たぶん。」


僕らはまたもや突然雲ひとつない
大空にいた、一瞬どこかで同じことが
あったような気がした。

「肩の力を抜こう、翼はやわらかくと想像しよう、
あわてなくていい、それで十分この気流に乗れる。」

爆音が急激に耳の中に入ってきたが、彼の声ははっきりと聞き取れ
たずねようとしたが、気流の鳴る音は止まず僕は必死で怒鳴ったけれども
それもかき消されて耳の中で響く声の言う通りにするしかなかった。

翼は柔らかくと想像してみる
イマジネーションが浮かぶと
いつのまにか気流は沈黙し
ほおをなでる風を感じることができた
僕にも気流の厳しい風に乗ることができたのだ



富士山の頂上が間近に迫り朝日に
照らされ純白の光を放っている

「今その翼を使っているのは
あなた自身以外の誰でもない。
いままではイマジネーションがやってこなかったから、
食べるための毎日にうもれていたんじゃないのか?」

彼の瞳がキラリと光ったそのとき
山頂付近で金色の翼を操りながら悠然と飛ぶその姿が目に入った。

「僕は彼にただ同調すれば
 いいことに気がつくまで、ものすごく苦労した。
優れた僕ができない筈はないと思いたくて
それまでのクセや習慣で
僕は心の中で彼と勝負をしてしまっていたんだ」





太陽から射す光は
時間を経るごとにあふれ出し
その明るさの度合いを増していた。

青ざめたその空の果てに
富士山が山肌を積雪に白く輝かせて
その切込みの線が幾筋も降りていた

限りない青さを背にしたその先にも
限りない何かがあると告げているかのようだった
その何かは毎日のなかで失われても
欲してやまないことにちがいなく

ニーハイソックスをたくし上げる女子高生も
表参道でハーフミラーに全身を映しながらウォーキングするモデル風の女子も
腰が曲がりキャスター車を押すおばあちゃんもが
求めても得られないその尊い何かだった

それはあふれる明るさと同じく、
彼女たちが生まれる前から確かにそこにあった
そしてまた生まれたときから
そっと彼女たちに寄り添い
誰もそれに気づかなかったが
それでもその何かはただ沈黙し母親のように優しく
見守り続けていくことを決めていたのだった。





「負けるもんかと力が入ったそのとき、これ
このイマジネーションがやってきたんだ。」

僕は驚き押し黙り
それを見た。
それは確かにあり
僕に強烈に迫ってきた。




「え?」














「厳しい練習はもうやめ
だれもかれもと争わず
今このときの
戦いすべてを終わらせて
本能に乗ろう。」
 
 

Wind  flux.







2011年10月7日金曜日

「だから 誰も風に乗れない。」





僕がたった一人で入射角ギリギリの
超高速気流突入練習に
はいっていたとき

風を感じ風をとらえ
風になり風が消え
僕自身が消えたそのときに

彼は気流の鳴る音の中
僕の横に忽然と現れ
目が合った瞬間
こう言った。


「うまく飛ぼうとするから
 失敗する、しかし今なら乗れる。」



何?と思ったそのとき
またもや忽然と彼は
風の中に掻き消えた。

驚いた僕は
急激に失速し
丸めた翼がゆらぎいきおい強風につかまり
大きく両翼は開いてしまい
そのまま急降下し
態勢を立て直せないまま
重力に強く引っ張られ
固い岩に叩きつけられた


まぼろし?
でもはっきり聞いたよな
彼の言う通り
あのとき僕はギリギリの
全集中力を翼の羽毛に費やそうとした
風はどこへどう動くのか
微かな違いを探していたのだ

それをみたそのときと
僕が消えたそのときと
僕が風になったときと
彼が話しかけたときが
一瞬で同時だったのだ。

彼が言う通り
僕はうまく飛ぼう
うまく飛ぼうとした

それが風の一瞬の変化を
見逃すワケだったのだ。

しかし
うまく飛ぼうと思った
その瞬間が命取りとは!
たしかに風の動きを感じる
スキがそこで生まれる

でもさ、誰でも思うだろ,それ位さ。






「誰でもおもう,だから 誰も風に乗れない。」











どういう訳か
挨拶の代わりにそう言い
彼はまた忽然と消えた。



Flux  to be continued.





2011年9月23日金曜日

「自分で決めようぜ。」



朝だ。

真東から太陽が昇ってくる
空が白みオレンジの輪郭が
ある一瞬を境に
鮮烈な一筋の光線から広がり始めていく
朝焼けだ

このカーブした眼球の
視野の広さは哺乳類一だから
美しく続く生命の営みを見逃しはしない

渓谷に朝日が広がり
やがて山肌を埋める鮮やかな緑色の樹木が現れた
光は行く手を指し示すように見えなくなるその先までを照らし
小さな光がきらめくと足元に微かな風を感じ始める

あのきらめきの所まで僕は何度も行ってみたことはある
だがその先には誰も辿り着いたことはなく
いままでほんの数羽だけがあの黒く果てしなく高い峰を越え
『自由』になったと言い伝えに聞いた




「自由?」





「何だ? それ。




自由は自由さ。わかんねえのか?
僕は誰に聞いても鼻で笑われて
取り合ってもらえず
数年前に巡り会ったある世捨て鳥に
尋ねると彼は言った。




「『自由』は食い物に似ててさ
『自由』になったヤツだけが味わう事ができる、
だから、夢みたいなもんだね。」













風はいつのまにか僕の羽毛をやさしく
なで始め断崖絶壁のこの頂きから
飛び立つその瞬間は
僕にしか感じることはできず
誰にも頼ることなどできなかった
そういえば口癖のように




「自分で決めようぜ。」




と彼は言っていた




flux  to be continued.





2011年8月23日火曜日

「僕はこれが一番すきだ。」

僕にビートルズを教えてくれた
彼はそう言った。
ポールマッカートニー ソロ最高傑作。
アビーロード 後半の延長とも言えこれらを含め 3部作。












中学1年のすばらしく天気のいい秋の午後
ノリヤスは彼の兄の部屋に秘密に僕を招いて
緊張し震えた指先でレコードを
注意深く手のひらで端を押さえターンテーブルにのせ
アームをゆっくり動かし真っ黒な
LPの最初の溝に針を慎重に落としこれを聞かせてくれた
僕らはいつの間にか遊ばなくなり
二人とも中学を卒業し
同じ高校に入り
卒業式でも顔を見たきりだったが




あれから彼とは一度も会っていない。


Music  flux.









2011年8月20日土曜日

「もっと大きく外回られへんか。」




クォーターバックQBがしゃがみ
片ひざをついて丸く取り囲んだハドルの中で
軽くみんなに目を合わせながらプレーコールをする

「右フランカーF、アイIフォーメーションオフタックル51フェイク
 右ランパスオプション、カウントワン 。 」

両手を打って11人は軽快にそれぞれのポジションへ向かう、


センター C
ガード G
タックル T
タイトエンド TE
レシーバー WR
クォーターバック QB
フルバック FB


そしてテールバック  TB(ハーフバック HB:上図)。


僕はアイフォーメーションのこのポジションで
肩幅より少し広く両足を広げて
スーパーランナー・マーカスアレン(1983LAレイダース)を想像し
背中を伸ばして前傾姿勢でひざに軽く五本の指を添える

ユニフォームの下には

プロテクター
ショルダープロテクター
サイパット
二ーパット
フルスーツで重さは約6キロ。
ヘルメットは自分たちでラッカーを黄色くペイントし
シーズン最後のゲームの今日は色も剥げ落ち
特にフロントラインのそれは激しい当たりを物語っていた。

第四クオーター残り1分
ボールポジションは自陣30ヤード
サードダウンスコア0−7
このプレーコールでタッチダウンし2ポイントコンバージョンで
逆転が可能だ今ギリギリの瞬間がリーグ優勝の行方を決しようとしていた


チームは勝利を望んでいる
僕も勝ちたい
だが


スポーツの純粋な勝敗ではない
『何か』が
今この瞬間に
僕の中から立ちあらわれる


俺は... 。
俺にはボールはこない、正直気が楽だ。


しかし
心臓の鼓動が
聞こえる
微かだった音は

徐々にゆっくりと
大きく聞こえだした。
セットしようとする右手が
だんだんとおそくなる

真ん前のフルバックの動きまで

その音に合わせて
スローモーション化しはじめていた。








「どうする?    」




「…。     」



「みんな何て言ってるか知ってるか?やめる根性もないゆうてんねんで、
くやしないんか、どないすんねん?」

大学に入り突然
体育会アメリカンフットボールを
はじめ肩を痛めたその後、
練習にでられなくなった。



就職活動に有利という
触れ込みで勧誘され将来への打算がよぎり入部
ただ走るのが速いだけではトレーニングキツく
好きで楽しめることが大切な動機と思われたが

自ら問いもせず始めれば好きになるさと言う思いは甘く
ビギナーの自分に毎日の練習や暑い夏の合宿は苛酷を極めた
何のためにすんねんという僕の愚問に
俺ら自分のためにやるんやんけ ちゃうんかと彼は即答した。


切迫したこのゲームのハドルの中で彼は言った。
「もうちょっとおおそと大外回られへんか?    」

余裕のない僕は走ってるやんけちゃんととしか
答えることができずみんなのやる気をそいで
次俺に回してくれや思いっ切り外回ったるからな
という神が望んだ素直な言葉は出なかった


俺は一体どうしたいのだ?
ただ勝って満足がしたいの・・?


 ダウン、レディーセット、ハッ、
きちんとタイミングが合って当たるキツい音。
僕の中で呼吸と心音が交錯する
クオーターバックからボールを受けたふりをし
ハンドオフフェイクしてかがんで走り抜ける
相手チームディフェンスが一人僕についてきたが
だましきれたのは一人だけだ
フロントラインは相手チームディフェンスと当たり
フィールドに潰れてプレーヤーの目は皆
ボールの行方を追っている


明らかに僕の二列めの対応セカンダリーが
その瞬間の僕の責任だった

プレーヤーでは僕にしか分からないのだ
しかし


僕は
ハンドオフフェイクのあと残りのラインバッカーに
ダウンフィールドブロックをしなかった

クォーターバックのパスは
レシーバーの指先をかすめ
不成功に終わった。


ストライプのユニフォームの
審判がゲームセットの
ホイッスルを吹いた。

僕に期待を投げかけたキャプテンの彼のシーズンは終わった
僕の体はヘトヘトに疲れ
わずかにそのことだけにしか充実を確かめられず

リーグ優勝の対戦相手にナイスゲームと言われても
『何か』が残っていた



リーグ戦最終試合の打ち上げは
梅田の居酒屋でみんなが
シーズンを振り返っていた
前々回リーグ戦連続優勝のOBが
大きな声で酔いながら言った。


「今日の試合はSmithが最後のプレーで
 ブロックせえへんかったから負けた。」




かすかな『何か』を僕に残したリーグ戦から
どれだけ夏がすぎたのだろうか
彼とはその後祝いの席で同席したが




あれから
彼とは一度も会っていない。


Liflux.







2011年8月14日日曜日

「死んじゃうかと思った。」




見上げてみると板張り天井から
木枠の蛍光灯が宙吊りで
右手にはガラス戸越しに庭木が
夏の日差しに負けそうに繁る
左手には高校生まで使っていた
勉強机とキャスター付きの椅子
机の上に何がのってるかは見えない

額には汗
心には焦り
背もたれもなく
押し入れの板襖にもたれて
左足を覆った白い石膏と
足首に  スカイブルーな綿

今日で自宅療養を始めて
まだ3日しかたっていないが
時間がすぎるのが
ついこの間に比べて恐ろしく遅い
やはり盆休みが終わったら
無理してでも名古屋で
借りている部屋に戻ろう
今使っているカズナリには
悪いが開けてもらうことにしよう

これではまだ入院していたほうがマシだ
この畳6畳の真夏の8月
新入社員がいきなり靭帯損傷手術で
何もできずに悩み焦らないはずはない
宅建資格の勉強などひどく暑い夏には焼け石に水だ






扉の窓の外では
夜の闇の中で家々の明かりや サンヨー電機 SONY
青や赤の大きな光の広告が時速278キロで飛び去っていた
自由席は満席で新大阪から乗った僕は
座ることができず
このまま名古屋へ向かい赤十字病院に戻るしかない

松葉杖をつき三号車の扉の横に体をもたれたまま
映った自分の顔を暗い
ガラス越しに覗き込んでいた。



「新入社員でケガする?」



「だいたい60点くらいやと思うねん。」
    


「今度、人から薦められて会うねん。
もうこのでんわで最後にしてほしい。

終わらせないといけないと思うから。」



地下鉄や路面電車 東海道線を走る車両が

話しかけるような調子の音なのにくらべ
超特急が疾走して響く音は

瞬間に全てを葬り去るような轟音に違いない
車両の中にいてもそれは確かだ

脳裏に深く突き刺さった彼女の言葉を
轟音が僕の海馬を超高速に振るわせ剥がす
僕は松葉杖のその柄を握り締めながら

ひかり号と一緒にその轟音に揺さぶられていた





ゴールデンウィークの初日
会社のスポーツ大会があった

それまで新入社員のクセに
元気も勢いもらしさもなかった僕は

しごとにストレスを感じ鬱屈した毎日だった


「コミュニケーション能力ないんじゃない?」

「おまえ、大丈夫か?俺が25のときはもう、子どもがいたぞ。」

「誰の話しをしてるんだ、自分のことだろう。」



僕はどうしたいのか わからなかった

瑞穂運動場の屋外用バレーコートで

新入社員らしくもないのに
これをキッカケにそう見られたくて
ネットの前で大きくジャンプし
飛んできたトスを上から叩いて着地。
激痛が走りそのまま倒れ込み膝をかかえた
昨年痛めた靭帯損傷をまたやってしまったのだ。

やれやれ 悪いことは重なるものだ
確かにそれからの不安が頭をもたげてくるのだ

僕はどうしたいのか
 やはり わからなかった


「死んじゃうかと思った。」


手術の前日深夜、彼女は突然病室を訪れそう言って泣いた

上司は貪欲にならないとダメだと諭した

同期のみんなの新人らしさがまぶしかった

いずれにしても僕は
大人として社会人として
職業を全うする人として
この先この果てに何があるのかは全く知らず
愚かにも当たり前だが見たこともなかったのだ














サントリーホールでは音楽教室の受講生が
スタインウェイのグランドピアノで
ショパンの大円舞曲を演奏していた
観客はほぼみな同じく受講生に違いない



今この場所では僕にはかつてなかった『何か』があり
白と黒の鍵盤を打つ彼女の指先にも『それ』があった

ホールに座り時を忘れて聞く僕にも
その『何か』はいつしか現れ

力強く同調しはじめ僕らに
優しくつながっていった


ネットのニュースでひかり号の某車両引退の記事をみた
車両の扉を呆然とみながら突っ立っていたときから
過酷な夏は何度過ぎたかはわからないが






あれから彼女とは一度も会っていない







Anyway, Life flux,liflux.





2011年8月10日水曜日

「こそぎだしちゃってください。」

汚れたブラシを手で
こする音だけが
暗い蛍光灯が点いたトイレに響く
「コソギだしちゃってください。」と彼は言った。
そんな細かいとこまできちんと
便器のそうじすんのかよと思ったが
黙ってその通りにやってみると
排水管へとつながるアミのかかった
ところをゴシゴシやると茶色い汚れが
削れ白い元の陶器が現れた
夜のバイトは生まれて初めてで
センパイのサトウさんは
目と眉毛が顔の中心に集まり
長身で痩せていて夜のシゴトは
慣れた風だった。



hitomiのcandy girl
が話し声を聞けないくらいの
大音量でかかっていた
お気に入りCDの自分がよく聴いてた曲は
店のスタートで店長が必ず使い
僕は壁を背に突っ立って
注文などを待ちながら
彼が小さなデスクで右手の指で
その小室さんの曲のベースに合わせ
調子を取るのが目に入った


烏龍茶はガス湯沸かし器から
のお湯をやかんにパックを入れ作る
ウイスキーはオールドのボトルに
ホワイトを流し込む
店の女の子に店内では話しかけてはならない
店のオキテなのか何しろ
厳命っぽいことが沢山ある



「最近、他の女の子のプライベートなことを
聞かれもしないのにお客さんにペラペラ
しゃべっているという話が結構でてます。
理由は分かりませんが、
子供がいるとか
旦那がいるとか
お客さんが興ざめするようなことは
言わないように。
ばらさないように。
自分も言われたら困るだろ。
指名つけたいのは分かるけど
結局自分にかえってくるからね。」
深夜のドラマで見たようなセリフを
僕にさっきパシリをさせたサカマキ店長が
しみ一つない青白い寝起きの顔で
ウグイス色のスーツにフィッチェウォモの
まだら模様のひどく趣味の悪いネクタイをし
朝礼で話していた
もちろん午後五時なのだが


女の子たちは
みんな各々色の違う浴衣を着て
真面目に彼の話を聞いているコ
いつもそうなのか下を向いているコ
身に覚えがありそうなコも二人くらいいた
今日から浴衣祭りで
店内のそのポスターは僕が描いた
水彩ポスターなんてかいたのは
中学以来のことだった




「やられました」
サトウさんが店長に報告していたのは
僕が店に入って1週間もたたないころだった
昨日入った二人組の店員はまだ出勤していない
彼と一緒の寮の古いマンションに
昨晩は泊まったはずだ
「さっき三時くらいに起きたら
二人ともいなくなってて
カバンもなにもないんで
なんだ一日でヤメたのかよって思って
で、メシを買いにいこうと思って
服の中の財布だしたらカネ抜かれてました。」
金額はなんと十万円で理由を店長が聞くと
買い物のため給料を引出しておいての被害で
二人の履歴書の連絡先はデタラメなのが
その場で電話をかけてすぐ分かった
念のため被害届を出すかと
店長が聞いたがサトウさんはやらないと答えた


今日も
午後5時半から午後11時まで
男たちが次々とやってきて池袋の公園脇の
風俗店のベンチシートに座って
彼女たちに小一時間の快楽を与えられ
帰っていった
僕はシルバーを小脇に抱えながら
ピンク色の薄暗い店内に集中していた

否応無しに働かざるを得ない
シングルマザーも
テーブルポーカーで毎日20万
すってしまうコも
街金から500万の借金逃れの
時効を待つ店員のサトウさんも
僕が来て3日でとんだメンバー君も




生きていた






























必死に。





たった3週間程度のバイトで
もう20年くらい前のことだが
脳裏に収録された記憶映像情報は
フルハイビジョンを圧倒するほど
せつなく鮮明で
色あせてはいない
数年前池袋のついで
周辺の様子は随分変わっていたが
公園とその店の看板は
当時のままだった


サカマキ店長は
「Smith, お前どこでもやっていけるから大丈夫だよ、
俺はもう少しやってほしかったけどな。」
ヤメたいと話したそのときにそう言った。
新卒で最初にホメられたときより
僕にとっては百万倍うれしく
それきりだったが






あれから彼とは一度も会っていない





 Liflux   life flux.






2011年8月3日水曜日

「どこのまちのひとですか。」

天井は高く
わずかの足音も
広いフロアに響いていた
見上げると壁には12面大型モニター画面が
黒光りし僕の影もはっきり映っている


モノクロのモザイク模様が
無音で上ってくる
何歩かさがり全体をながめると
それぞれ一片が古めの
顔写真が後から後からせり上がっていた

振り返ると壁も床も大理石造りで
地上に開いたアトリウムの
吹き抜けに冬の太陽の白い光が
柔らかく降り注いでいた







いつ終わるともなく
その顔写真は流れ続けている
傍らのステンレスデスクには
タッチパネルが内蔵されて

『原爆死没者お名前検索』とあった


「どこのまちのひとですかいの」
東京からきたんです
どうしてもこなきゃいけないと思って

「感心ですね」
「六日はこの辺りにはいなかったんです
丁度海軍工廠に呼ばれて
その日にみんなで歩いて戻ったら
母親と妹はいて
あとからわかったけれど
姉は中学校でなくなってました。
町中火の海で跡形もなく
人が沢山この川の中に入って
みんな焼けただれてあついあつい言うて
六日七日過ぎて
しばらくして妹がなくなって
それから母親は
妹が不憫で不憫で
あの子をあのときうちに入りって
言ってあげてればと60年間毎日毎日嘆いて
この前なくなりました。」

気がつくと
あたりは1945年8月6日の広島に
変わっていた。
空は曇り視界が途切れるまで
火の手や煙が上がっていた
無数の人々が両手をそろえて幽霊のように歩いて
公園の川の両岸に
叫びともうめきともつかぬ多くの人の声が
重なり合ってどす黒くとぐろを
巻いて僕の脳内に流れこんできていた
折り重なるようにして赤黒くなった人体の山は
どんどん増えている
煉獄。
あたりは燃えさかり体も焼けそうに熱い
貿易振興会館も炎上し既に
丸いドームがむき出しになり
金網の大きな帽子は真っ赤に焼け
ぐにゃりと曲がっていた
広島にやってきた
取ってつけたような僕の動機などは
いつのにか吹き飛びただ事実が歴然とその場に現れた



「戦争はいけん、戦争はいけん。」



とワタナベさんは言った
そして
初対面の僕に丁寧に頭を下げ
ゆっくり歩いて去っていった







「次は、比治山公園入り口、
比治山公園入り口。」

車掌の声が聞こえ
線路の継ぎ目の振動が
緑色の長い乗客椅子から
腰に響いていたのが止んだ
キーッガタン。
市電に合わせ車内の子供も
おばあさんも安いスーツのオヤジも
エビちゃん風の彼女も一緒に揺れた
小高い緑の山の前で一両目のドアが開き
敷石で囲まれた低いホームに降りる
歩行者信号が青に変わり
道路を横切り上の公園に続く
ゆるやかに曲がる坂道を
芳香が漂う中てくてく上る

小さなゲートをまたいで敷地内にはいる
現代美術館という建物標示を
右に曲がると白く大きなボードに
こんな文字が書かれていた








WAR IS OVER, IF YOU WANT IT.











ボードのメッセージは
JOHN LENNONのものだった。



Memory  flux.







2011年7月30日土曜日

「こちらの席あいてますか。」

久しぶりの
地下鉄飯田橋駅構内は
やはり入り組んでいて
迷路のように思えた
親切な案内表示をも確かめず
僕のクセだろう
足早に改札を出て
地上に上がった

外堀の橋から下る道を渡り
通り沿いに曲がると
CANAL CAFEがすぐ左手にある
夕暮れにちかづく闇を
待つように
水に浮かんだ
デッキのテーブルで
カップルや若者たちが
梅雨入り前の
渇いた喉を潤している

お堀のあたりは
水際のせいか少し
蒸し暑かったが
植え込みの紫陽花が青く
闇を染め始め
カウンターの照明は
水面に映り
暗いさざ波がその光を
揺らしていた






音信が途絶えたのは
いつだったか
なぜだったかを
思いだすことも
僕が忘れていた
その彼女は

九州のムラへ行こう「壱岐の島旅」

という
雑誌の記事で案内役として
協力参加していた

読んでいくうち
ふと思い立ち
挨拶とそのいきさつをしたため
郵便を出すと
数日後
電話連絡があった

「二十四節気の端午の節句
イベントをやるので
ぜひ遊びにきてください、
奄美大島出身の女子も
調理手伝ってくれておいしい食事
も用意してるので。」


アエノコト


おもてなしの行事のことを
石川県でそう呼ばれ
伝統的な意味合いがあるらしい






スペース『神楽サロン』
白い瀟洒で今風な建物
外堀通りから裏の
入り口のドアは開いていて
受付で会費を払うと
はたと単独できたことに
気がついた
主催者には軽く挨拶したものの
やはりお仲間のグループが
声を掛け合う雰囲気は
いろんな集まりと同様だ


何も考えず
ひとりできてみたんだ
ならば
きっかけを待ち
目の前の席にきた人に
僕から
話をしてみようと
決めて
額に少し滲んだ汗を
ハンカチで拭おうとした

そのとき



「こちらの席あいてますか。」
と彼女は言った



こうしたことがなければ
一生出会うことはない人だった











Anyway  Life  flux.

Yes,liflux.






2011年7月20日水曜日

「家で話をしてやってくれ 。」



雨が心に音を立てていた。


一面に水が流れおちる
ウィンドウのワイパーは忙しく動く
一旦停止の標識や信号さえもが
さえぎられ
テーマパークで床に固定され一緒に揺れる
ゴンドラに座ってハンドルをにぎって
いるようだ


いつ止むやも知れず
降り続く雨粒がルーフを
やかましく波打つように叩く
タイヤがはねる水の音も
アクセルの奥から聞こえるようだ
土砂降りの局地的豪雨でも
僕は夜8時までに車を
戻さねばならなかった







「もういいから、殺してくれ   。  」




彼は
細くなってしまった腕に
点滴の針を刺されて
ストレッチャーで横になりながら
足をバタつかせ大声で叫んだ

処置室で
横になっていた患者さんで
目をあけ顔を向けるひともいた
「たいへんね。」
付き添いの人から言われ
僕は神経がドリルの先に触れ
囚われたように肩がこわばった


「これからすぐ入院してください、
ご本人には息子さんから
話していただけますか。」
危ないのですかと尋ねると
先生のメガネの奥の小さな目がゆれ


「はい、病名はまだ特定できませんが。」





「家で話をしてやってくれ、病院へ検査に行くように。 」



兄からのはじめての
ケータイ着信で聞いた言葉だったが

わかったとふたつ返事をして
念のため本人をのせる
レンタカー予約をし
帰宅途中東京駅裏手界隈で
東京名古屋のぞみの
ディスカウントチケットを買い
その足で緑の窓口で予約を手配し
翌早朝部屋を出て
始発で家に向かった



僕はなぜこんなことを
しているのだろうか

何かあっても関係なしと
決めたのではなかったか

会えばかならず
争う相手に
手は差し伸べないと
決めたのではなかったか

忙しいとか
テキトーな
言い訳をして
やり過ごすのではなかったか


まもなく名古屋に到着します
車掌の声を聞き
降りる時が来ても当然
その疑問はとけなかった

父親のために
あて先不明の治療が始まり
心の準備を とも言われた

延長一日の休日は
東京行きのぞみ最終の
ドアを降りてようやく
終わった

急な坂を部屋に戻る
ふと見上げると月は
闇の中を上りきり
中空で白く
満ち足りていた

透きとおった光は
地上を照らし
僕の中心に流れ込み
しつこくまわりくどく粘る固い
『それ』
カンペキで混じり気のない
水のようにていねいに
やさしく洗い流しはじめていた

それは
BoySmithが
月になげたいつかの夕暮れと
まったく
変わろうはずはなかったが
はしりながら尋ねたその「なぜ」に
やっと応えたのだった

月はただ
その口をつぐんだまま
迷った僕に行く手を
いざなうように
照らしはじめていた






あれから何度
東京名古屋間を往復したか
憶えていない
落ち着ける座席の頼み方にも
くわしくなり
きびしく暑く
わけの分からない夏がすぎ
秋風が夕暮れに涼しい頃
彼も快癒した




月はまた
ただ沈黙してこの星を巡り
見守るうように行く手を照らし
優しく僕を招き寄せていた




Year  and  season flux.