2012年2月29日水曜日

「タダ程こわいものはないって言いますよね。」



「いま、あなたが担当の部屋から
ものすごい剣幕のクレームがあったけど、
身に覚えがあるか?」


「ええ。」

「困ったことをしてくれたな、ホントに。
 じゃあしょうがない、対応するから、
車ですぐにこちらへ戻るように。」

「全く、あなたというヒトは
いつもそうなんだ、
ことがことだけに
取り返しがつかなくなったら、大問題だ。
今日はもうこのまま事務所で謹慎だ。」







軍艦が二隻が歪につながったような十数階のその建物は
風雨に晒されたためか
外壁は多分竣工当時と大きく異なり
灰色に黒い大きなシミのようなカゲや筋が幾つもあり
人が住むには重苦しい感じを受けたが
その規模は数百を超えていた。
僕らは三人一組で
築数十年の団地の各部屋に訪問し
工事と称して多チャンネル放送の受信器を
工事費無料で設置するという
消費者センターに槍玉に挙げられそうな
スレスレのシゴトを
これから一致協力してはじめるのだ


「この工事はホントに無料で
やってもらえるの?」

「はい、もちろんです、居住者の方のご負担はございません。」


「後で請求されたりするんじゃないわよね。」


「そんなことは一切ありません、
無料です。」


「タダ程怖いものはないって言いますよね。」


僕以外の作業担当の2人は
狭くて暗い玄関先で足止めを喰らい
錆び付いたドアを半開きにして
道具を準備し突っ立っている
彼らの手持ち無沙汰な感じが
背筋と額に走る
生暖かい汗と一緒に
なんだか僕を
追い詰める

「無料と言って、
うせ料金に含ま
  れているんでしょう。」


「…。」


「…。」

「黙ったりするところが
ますますうたがいますね。」

「お金は一切いただきません、作業終了後、
この名刺の電話番号へ連絡してもらって結構です。」


さしだした名刺には
僕のイライラと焦りと背中の汗と
両腕の根深い緊張硬直がはたらき
その投げやりな気持ちが伝わるまま
コントロールを失った指先は
常識を振り切ってその紙切れを
弾き飛ばした。

テレビのない奥の部屋には
東南アジアの島にいそうな
極彩色の目を光らせた
不気味なサルが大きな鳴き声を出して
部屋の蒸し暑さに拍車をかける

僕の表情をずっと真正面で陣取り
こちらの表情をそのサルみたいに盗み取ろうと
視線を釘付けにして
垢と指紋の跡がついた瓶底メガネをかけた
時代遅れなオカッパ頭の女は、 目を吊り上げて言った。

「いったいなんだとおもっている?
バカにするのもいい加減にしろ、私の広い人間関係で、
仕事なんかできなくしてやる、
今すぐここから出ていけ。」




メタリックブルーのホンダtodayを
敷地内の所定位置に止めて
僕は1人で熱中症を防ごうとしていた
車内はエアコン最大レベルで
ときおりその車体は大きく震えていた
昨日の夜7時のニュース終了前の天気予報では
オヤジに大人気の半井小絵
目遣いで僕に語りかけていた
彼女によれば今年もまた記録的な猛暑が続き
やはりその原因は太平洋赤道付近の
海水が高温になるエルニーニョ現象によるものらしかった
薄いブルーの作業着は襟が汗とホコリで汚れが落ちず
首すじにその襟が擦れて妙に気になり
いつもにまして今日は調子が出ない




僕は一体どうしたいのだろう
仕事はなんのためにやるのだろう
何か願いがあったような気がするがいつの間にか、投げ出したのだろうか
結局、何もわかってないから
やり抜く事が出来ないんじゃないか
だから困難な状況に耐えきれず、
関係者に影響を及ぼしてしまう。
仕方がないと節目節目で
置き換え代用アレンジを
繰り返しした挙句のことだった。




梅雨がすぎて熱帯夜の情報が
毎晩天気予報で伝えられるのが
当たり前になった頃の事で
記録的な猛暑が連続し
僕自身のアツさも限界を突き抜け
ホネのつぎめや皮下汗腺から
煙が出始めた頃のことだった




だがしかし
夏の空も
藍より青く限界を突き抜け
ただ青く美しかった










                                                                              

            ※ ベリーベリーストロングのバックを聞いていたら

            FEVERのイントロが湧き出て書き出しました。
            同時にKISSのI was made for loving you.も。
                                       両方ともLOVESONGらしからぬ演奏が印象的です。



2012年2月25日土曜日

「あなたを好きな女の子がいるのよ。」




部活マネージャーは大学からはじめた
と新歓で話していた同期の彼女が、
夜ボーッとしている時に電話をかけてきたのは
彼女自身の来春の就職の内定式が終わり
もろもろ一段落したからのように僕には感じられた。



「オレは留年したやろ
スーちゃんやハシフジみたいに真っ当な
会社に就職出来るかどうかわかれへん、
けど、ごっついなー。
City 他に内定した子。いてへんやろ。
ホンマにすごいで。」

「たまたま、入れただけやねん。」

「ハシフジは、ホンマは
CAなりたかってんやろ
あいつなんか落ち着かんから面接とかどないやろ
両方とも受けたんか?」



学科は違っても、フットボール部所属で
普通に話し、練習のときに接する機会が多く
僕らは良くしゃべったけれども
直接電話で話すのはおそらくはじめてだった
僕が以前付き合っていた部室が隣の
ラグビー部のマネージャーとは同じグループで
学内ではいつも一緒にいる程親しかった
その話は出なかったが、彼女は言った

「Mr.Smithを好きな女の子がいてんねん。」


僕は返す言葉が見つからず受話器を握りながら
短パンの先のすね毛をむしったり
古い畳をもむしったりし
なんとなくわかるなぁとか
いけ好かないことを話をして
自分が練習前よく一緒に茶を飲んでる
後輩の2人のマネージャーのどちらかだと
勝手におもいこんでいた






薄曇りの空が建物の向こうに広がっていた
リーグ戦の試合会場はすでにシーズン前に決まっていて
参加する4ゲームのうち最後のこのゲームだけが
違う大阪経済大学グラウンドで行われた
晴れていないせいか
暑さによる体の消耗はないけれども
最終戦の様子を映し出すかのように
最終第四クォーターに入っても日が射すことはなかった

そのキャンパスは敷地が平坦で
グラウンドからその全体は一望できるワケでもなく
建物に沿って一列に並ぶ植え込みの
その樹木の名前は枝や葉の緑も映えずわからない。

僕の体はなぜだか緊張せず軽快に動く。
だが大教大チームには
1タッチダウンのリードを許していた。



「あたし感動してん。
こないだの試合、Smithすごかったやん。」

「みんなすごかったなぁ、
んでも、自分は最後あかんかってん
ボンクラのおっさんに打ち上げで言われて、
そうやったんかって、えらい後悔したわ。」

「なんでなん、Smithが一番活躍してたやん。」





主審がゲームセットを告げた
全身の力が抜け
グラウンドにガックリと左の片膝が落ちた
ニーパッドと膝の間に入り込んだ
グラウンドの砂粒は膝頭の皮膚をこすり
一粒二粒と数えられる位の
いやな痛さが残った

サイドラインに
相手チームの主将と副主将の2人がやってきた
反対側サイドラインへ挨拶に向かい進む
同期の2人のスパイクを僕はぼんやりと眺めながら
勝ち誇りナイスゲームと言い放つ目の前の二人に
会釈しかできなかった。


曇り空は
ゲームセットになっても
まるで一流の塗装工が仕上げた壁のように
完璧に灰色でグレーだ
気温は暑くもなく寒くもない
僕の視界にはあるはずの時計が入らず
時刻さえもわからない灰色な世界に僕はいた。
敗れ去ったという事実がそこにあり
最終戦でチームは
優勝どころかリーグの上位でも下位でもない3位に終った
天高く馬肥ゆるはずだったその日は
抜けるような青い空とはほど遠く
灰色が沈黙しハイボクをあからさまに伝えていた



「その女の子が、あたしやったらどうする?」

「そら、ないやろ。」




          
           『ベリーベリーストロング:アイネクライネ』


  
僕の胸にティンパニーが鳴り響いたのは
それから長い時間を経て 
やっと
この曲のイントロを聞いた時だった。
 
 


      ※   斉藤和義さんが伊坂幸太郎さんのアイネクライネと
        いう短編小説を読みコラボレーションして作った
        曲がこの『ベリーベリーストロング』です。
        僕もこの曲を帰宅途中にカーステのipodから流れるのを聴き
        後から自分の胸にもティンパニーが鳴り響いたことに気づき
        勝手にコラボしました。
        僕の貴重な読者の方々にも
        ティンパニーが響けばベリーベリーストロング。
 
 

2012年2月15日水曜日

「Greatest Love Of Allが好き。」






土橋の高速出口からも
東海道新幹線からも見えるそのビルは
周りの街の様子と世相を映し出して
銀座8丁目のショーボート跡地に
建てられていた
ハーフミラービルは竣工当時は
超現代的な印象と経営雑誌に掲載され
その後政界を揺るがす大事件のとき
そのミラーが不透明感の象徴だと揶揄された

彼女と初めてそこで会ったのは
新人の年の異動で上京した
真冬も過ぎて水も緩み始めた
春になろうとする季節だった

「Smith  一緒に遊んだって、
Megちゃんと。」

学生のときには知り合うことがなかった
背が高くモデルのように
オシャレな女の子に紹介された僕は
ビルの2階からその7階フロアへ上がった
その理由を忘れてしまうくらい
魂を揺さぶられてドギマギし、
文字通りアガってしまった

「あ、ああ、そうだね。」


と、言うくらいが精一杯で
正直、ホントにうれしかったが
どういう訳か素直に表せなかった。

首をかるく傾げ長い髪を少し揺らし
濃いめベージュのジョッパーズを履いた彼女は言った

「遊んで、遊んで。」

東京に出てきたばかりの
背伸びしがちな気持ちの僕は
突然の異動でショックをうけ
営業のシゴトにも自信を持てなかった
彼女のその言葉を聞いたことで浮かばれ
東京へ呼ばれたこの事態も
全く都合よくついてると思った。


都心部にある寮のメンツで
坂本龍馬を信奉するセンパイを中心に
何かのイベントのミーティングを
オフィスであいた会議室でやるために
みなそのフロアに集まっていた


少し前バレンタインデーに
デスクの上にチョコレートが山盛りで
それが思いがけないことだったが
僕の内側ではあまり盛り上がらず
固く冷たい何かが
どうしても引っかかっていた



思い込んでただけかもしれないが
そのとき冷たい心は踊り始めていた。



こないだの休みに探したんだ、
表参道から外苑前くらいまでグルグル回って、
俺知らねえから、ここが良さそうでさ。」

「ウソばっかり、
 みんなにそんな風にいってるんでしょ。」

「ホントだってば。」

そんな言い草だったが、
彼女の大きな目の瞳孔は開き
とても嬉しそうだった
直前の日曜日にひとりで
246青山通り近辺をてくてく歩いた
神宮前 北青山 南青山 
ガイドブックなど手に入れず
どうゆう訳か自分の感性を信じ
外回り中に記憶に残ったエリアを
青学出身の同期にもその辺りの
参道奥のゼストなどの情報を得たはいたが
鉢合わせを嫌って歩いて他を探したのだった
やはりそうした事実は虚言を装ったが
彼女のハートに伝わっていたようだった


 




はじめてのデートは
キラーストリートと246が交差する
ベルコモンズを挟む交差点から
西麻布方面へ少し降りた左で
キリンビールが期間限定でやっていたレストランだった
つい最近スタートした店の様で
背伸びしたい僕にはちょうど良く
髪の長い彼女がゆっくり座ると
なんだかドラマの中に
いるような錯覚を覚え
僕は上の空で
彼女の大きな目が笑っているのが
正直夢ではないかと思い
トイレのミラーで自分に語りかけた


「よかったなー。おまえ。」


話題がなくなると僕は自分が好きな
音楽の話をした
そんなあるとき


「Mr.Haytoがよくテープ作ってくれて
 ブラックコンテンポラリーが多い。」


「あー、今年のグラミー賞ってさ
ホイットニーヒューストンだったよね。
俺大学卒業ちょっと前に知ってすげー
感動してさ、聞いてると元気出てくんだよね。」

東京に出てきて数ヶ月だったが
標準語にも急いで追いつこうと
ムリをして使っていた


「私はGreatest Of Allが好き。」

「All at once でしょ、それ。」


そんなやり取りにあった
ホイットニーヒューストンが
2012グラミー賞の前夜祭パーティーの
前日突然この世を去った。


YouTubeで検索すると
最初に出たAll at once
僕が会社を止めても
その後僕らは別れても
どうゆうわけかよく会っていた
ふたりとも夜の散歩が好きだったのか
新宿中央公園 イグナチオ教会の土手 千鳥ヶ淵
春夏秋冬片耳ヘッドホンで
二人できっとこの曲を聞いていた








2012年2月12日日曜日

「もうこの機種はお取り扱いしていません。」



寒いホームを駅員さんが走り回っていた
ベンチの下を何度も覗き込み
彼の靴音がタイルのうえをヒビく
何かモノが隠れていそうな陰を
片っ端から覗き見て
階段を駆け降りた

「Mr.Smith すぐ、電話しましょう。
電話番号ありますよ。」

信号待ちに
大宮で埼京線カワゴエ行通勤快速を降り
網棚にボディバッグを置き忘れた事を話すと
植田まさしのキャラクターに似た
いつも親切な彼は
忘れものの連絡先の紙を
黒いバッグから
取出して渡してくれた。



「終点がカワゴエですから、その時間だったらあと20分後くらいに
駅に電話してもらえますか、現状
そうしたお忘れ物は届けられてはいませんので」













ボディバッグはオロビアンコベージュの
アーバンリサーチエクスクルーシブ

オレンジの長財布
ケース入りメガネ
auのケータイK09
サイフには
クレジットカード
自動車免許証
三菱東京UFJキャッシュカード
スポーツクラブ会員証
ビームスクラブカード
シップスメンバーズカード

レンタルビデオ会員証などが入っていた


「紛失したようなので、止めてもらいたいんですが。」
「一旦止めますと、カードが見つかっても
ご利用いただけなくなりますが、よろしいですか?」
承諾すると再発行するかときかれ
「到着は約2週間後に書留で届けられます。」
僕のように忘れっぽい
人は多いのだろうか、受け答えは
事務的だが流れるように手続きは済んだ




「ケータイを紛失したようなので…。」
「…。」

壁にはオレンジ色のコーポレートマーク
僕は応対は女子のほうが親切と思ったし
彼女はずいぶん持田香織に似てて
下心満々で、勢いこんで話した

「え?今なんて?え、
聞こえなかったんですけど。」

事情を話すと確認のため事務所の奥へ
相談へ入ったままずっと戻ってこない

「もうこの機種はお取り扱いしていません。
安心ケータイサポートは適用にならないので
新しい機種買い替えが必要です。
5万円ですね。」
「支払ったお金はムダになっちゃうんですね…。」
「そうですね。」


iPhoneから流れる曲のせいか
そのとき朝だからぼんやりしていたのか
ボディバッグなんかを置いた自分
は不注意なんだがやはりショックで
無愛想で事務的で察しがわるい
美形女子の受け答えは
ビジュアル充実だからこそ
ひどいギャップだ。




新しいキャッシュカードは
光沢が美しく
ジローラモが雑誌の表紙でかけてた
9999ウエリントンも心地よく
番号が同じケータイも
取り替えればやはり
文字通り新鮮だけれど

真冬の明るく晴れた午後
ホームの駅員さんの一生懸命さと
それぞれ応対した彼女たちの固く冷たい
雰囲気が
駅のベンチで日差しがつくる影
の境のようにクッキリと分かれていた


目的地の一つ手前の新駅で降りる
ホームの待合室はガラスで囲われ
駅舎も見通しを考慮してか
東京スカイツリーまで微かに見える
混雑しはじめ自動ドアで外に出る
頭がぼんやりするエアコンと外気も
まるで彼らの違いのようにハッキリと分かれていた。

夕暮れが肩を落とすと西から
オレンジ色の幾重もの無数の
光線となりこちらへ伸びて迫る
光を背にして自動改札を出る
冷たい外気が頬を撫でると
なぜか体の奥底から深呼吸を始めていた
繰り返す繰り返す繰り返す

彼らはホントに違うのだろうか
いろいろ必要で取り替えをした
今新鮮な気持ちの僕も
彼らとホントに違うのだろうか


西の空に日は
いつの間にか沈んでいた
その空気は
群青が天に接しオレンジ色は
家々の影でとぎれ
美しくゆるやかに二層に分かれ
やがてゆっくりと
闇へと変わっていった


『斉藤和義 郷愁』



2012年2月11日土曜日

「その、手に職って言うのがプレッシャーなんです。」

 


真冬の午後5時
外気と室内温度差は大きく
その店の大きなウインドーは白く結露して
スタッフたちの動きの影が
ガラス越しにぼんやり映る
彼らの機敏なうごきが
店の中へ入ると目にはいった。


白い壁と高い天井に
奥行きもあるその建物では
ソファの右手の壁に
ミラーが奥までずらり

ドライヤーのコードを
丁寧にたたんで
ミラーの奥に収めながら
彼女はいった。

「Mr.Smith、こんにちは。
 あ、メガネあたしとおんなじですね。」

「よくかけてるんだっけ?
 あまり見ないよね。」

「今日は、ダメダメなんです。
 ほぼスッピンで何もしてないんです。」

「あー、まぶたが腫れちゃってる
 誰かなあ、泣かしたのは
 わるい奴がいるんだねー。」


「バレちゃいました?
そうなんです、
やっぱり昨日が休みなのが良くなかったんです、
テンション上がんなくって
下がっちゃってるんです。」






僕が以前仕事で行った
東武線沿線のある地域の
隣りの駅に近い実家に彼女は住んでいる
その話をした数日後
お休みに美容院の近くを歩いていた僕は
出勤途中の彼女に何度か出くわした
「明日、沖縄なんです、
買い物しなきゃいけないんで。」
ドラッグストアで
ポリ袋を下げたひげ面の僕を見つけると
明日の話をし出すような
気さくなシャンプーガールなのだ

「社員旅行なんだ、いいね。
バナナはおやつに入るの?
あ、遠足じゃあないんだ。」

あどけなく目が笑い
今日も口ぶりとはちがい
これからが楽しみなのが
十分に感じられた。
ゆび先でアヒルのクチバシを作り
僕は話す。


オレなんかさ、コレばっかでさ
 やってるだけでも、メシは食ってるからさ
 手に職の美容師さんはだいじょうぶと思うけどね」

「それなんです、その
 手に職って言うのがプレッシャーなんです。」

高田純次にあこがれ
彼をめざしている僕は
かるい調子でテキトーに話す

「問題ない、問題ない。」

「すごいですね、Mr.Smith
 前向きですね。
 やっぱりあたしウジウジはやで
 さはさばしたいから、明日はもう忘れちゃうから
 これでいいんです 大丈夫です。」



カウンターで会計を済ませ
おもく大きな木のドアから外に出る
クレンジングした頭皮と髪は
真冬の夜の空気がすがすがしい


月は
漆黒の闇の空から
白く混じり気のない反射光を
凍えるコンクリートへ解き放ち
僕のスニーカーを明るく照らしていた。
9歳のときのように尋ねても
こたえない満月はまだ沈黙して
過ぎ去ったその瞬間とひとしく
それぞれを優しく見守っていた。


この夜に
過ぎ去っていくその情景を
ぼくは背中で見ることができる
歩けばつぎつぎ脳裏に浮かび上りながれる


明るい店のなか彼女はいま
自分の豊かさを知り
彼女自身をいたわり
始めていくだろう。




2012年2月5日日曜日

「このお店入ったことない。」





黄色くなり始めた芝が
なだらかにうねる公園の丘に広がっていた
初秋の風は僕の頬をかすかに撫でていた



僕はひとりで昼ごはんを食べなくてはならなかった
母が作ってくれたおにぎりは
しそのふりかけがまぶされたのがいくつかあった
いつもは、喜んでそのアルミ箔の包みを丁寧にあけるのだが
その日は開ける気にはならなかった。

仕方なく爪でアルミの包みを開けようとする


「ちょっとこっちにこいッ!」


喉の奥が熱くツンとなり始めたときヒビ先生が僕をきつく呼んだ。

「おまえ、人の弁当食べちゃうって本当か?」

「…。」

「ダメじゃないか、みんなに謝らないと、
ゴメンなさい、もうしないから一緒に弁当を食べてって
自分から頼むんだ。」




空は果てしなく青く
芝生は天と地の接し交わる線を境に
ゆるやかできれいな波を描き
風景は優しく僕を包み込んでいた


だが


遠足の目的地の長久手愛知青少年公園
半ズボンからのびたカサカサの膝小僧を
うな垂れて見るしかない僕は たった一人だった。








えー、本当?遅過ぎ遅過ぎ!何十年後?Mr.Smith。」

「だから、こないだ気づいたんだよ、オレいじめられてたんだよね
なんかガキ大将みたいなやついるじゃん、やつがさ、
先生にしらばっくれたんだよ、仲間はずれがバレないようにさ。
でも、そのときオレ弁当食べちゃったのかな?

 ってホントに自分疑ったんだよね。」









リニューアルしたその建物にあるカフェの冬の窓からは
多摩川の午後の日差しが眩しく射し込んでいた
髪をひっつめた彼女の小さな顔は逆光に遮られ
よく見えなかったが突然口をつぐみ
さっきまでの弾んだおしゃべりは掻き消え
まるでウソのように押し黙った。



冬の日差しはやがて真横から射し込んでその頬を照らすと
微かに光るすじが白い肌を濡らしていた
そのなみだはとまらなかった
ファンデーションの乱れを真横の人に
気づかれてもなぜだか彼女は
それを拭おうともしなかった




いつだったか実家にそのかつてのガキ大将から
小学校の同窓会の参加の連絡があり
彼は本当になつかしそうに気持ちを込めて
ぜひ連絡してほしいと伝えた事があったと聞いた



少年の僕は悲しく辛かったけど
数十年のときを経て
オヤジSmithにこんなにステキな
女神のやさしさを贈ってくれた
ありがとう、ヒノ少年。





「ChildSmith スゴイかわいい。」