2011年8月14日日曜日

「死んじゃうかと思った。」




見上げてみると板張り天井から
木枠の蛍光灯が宙吊りで
右手にはガラス戸越しに庭木が
夏の日差しに負けそうに繁る
左手には高校生まで使っていた
勉強机とキャスター付きの椅子
机の上に何がのってるかは見えない

額には汗
心には焦り
背もたれもなく
押し入れの板襖にもたれて
左足を覆った白い石膏と
足首に  スカイブルーな綿

今日で自宅療養を始めて
まだ3日しかたっていないが
時間がすぎるのが
ついこの間に比べて恐ろしく遅い
やはり盆休みが終わったら
無理してでも名古屋で
借りている部屋に戻ろう
今使っているカズナリには
悪いが開けてもらうことにしよう

これではまだ入院していたほうがマシだ
この畳6畳の真夏の8月
新入社員がいきなり靭帯損傷手術で
何もできずに悩み焦らないはずはない
宅建資格の勉強などひどく暑い夏には焼け石に水だ






扉の窓の外では
夜の闇の中で家々の明かりや サンヨー電機 SONY
青や赤の大きな光の広告が時速278キロで飛び去っていた
自由席は満席で新大阪から乗った僕は
座ることができず
このまま名古屋へ向かい赤十字病院に戻るしかない

松葉杖をつき三号車の扉の横に体をもたれたまま
映った自分の顔を暗い
ガラス越しに覗き込んでいた。



「新入社員でケガする?」



「だいたい60点くらいやと思うねん。」
    


「今度、人から薦められて会うねん。
もうこのでんわで最後にしてほしい。

終わらせないといけないと思うから。」



地下鉄や路面電車 東海道線を走る車両が

話しかけるような調子の音なのにくらべ
超特急が疾走して響く音は

瞬間に全てを葬り去るような轟音に違いない
車両の中にいてもそれは確かだ

脳裏に深く突き刺さった彼女の言葉を
轟音が僕の海馬を超高速に振るわせ剥がす
僕は松葉杖のその柄を握り締めながら

ひかり号と一緒にその轟音に揺さぶられていた





ゴールデンウィークの初日
会社のスポーツ大会があった

それまで新入社員のクセに
元気も勢いもらしさもなかった僕は

しごとにストレスを感じ鬱屈した毎日だった


「コミュニケーション能力ないんじゃない?」

「おまえ、大丈夫か?俺が25のときはもう、子どもがいたぞ。」

「誰の話しをしてるんだ、自分のことだろう。」



僕はどうしたいのか わからなかった

瑞穂運動場の屋外用バレーコートで

新入社員らしくもないのに
これをキッカケにそう見られたくて
ネットの前で大きくジャンプし
飛んできたトスを上から叩いて着地。
激痛が走りそのまま倒れ込み膝をかかえた
昨年痛めた靭帯損傷をまたやってしまったのだ。

やれやれ 悪いことは重なるものだ
確かにそれからの不安が頭をもたげてくるのだ

僕はどうしたいのか
 やはり わからなかった


「死んじゃうかと思った。」


手術の前日深夜、彼女は突然病室を訪れそう言って泣いた

上司は貪欲にならないとダメだと諭した

同期のみんなの新人らしさがまぶしかった

いずれにしても僕は
大人として社会人として
職業を全うする人として
この先この果てに何があるのかは全く知らず
愚かにも当たり前だが見たこともなかったのだ














サントリーホールでは音楽教室の受講生が
スタインウェイのグランドピアノで
ショパンの大円舞曲を演奏していた
観客はほぼみな同じく受講生に違いない



今この場所では僕にはかつてなかった『何か』があり
白と黒の鍵盤を打つ彼女の指先にも『それ』があった

ホールに座り時を忘れて聞く僕にも
その『何か』はいつしか現れ

力強く同調しはじめ僕らに
優しくつながっていった


ネットのニュースでひかり号の某車両引退の記事をみた
車両の扉を呆然とみながら突っ立っていたときから
過酷な夏は何度過ぎたかはわからないが






あれから彼女とは一度も会っていない







Anyway, Life flux,liflux.





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