2013年3月5日火曜日

「朝(あした)に死に、夕べに生まるるならひ、ただ、水の泡にぞ似たりける。」





歩いている人は本当に少ない
道路を横断しようとすると
ずいぶん早いスピードで
軽自動車やワンボックスカーが
風を切って走る
道はかなり空いて運転手は
アクセルを気持ちよく踏んで
いるのだ

昭和を感じる入母屋造や
最近建てられた新築戸建や
古い二階建て平屋の家
ネットや多チャンネル充実の
築浅のこじんまりした
アパートやマンション
テラスハウスなどが混在する

ここは一体どこなのだ
削除修正された過去か
脳内無意識のフラッシュバックか

都市圏から外れた日本の地方の
街の様子はこんな感じだろうが
幼いころ見た
同じままの裏路地なのに
まるで知らない土地に
やってきたようだ
いや実際本当に知らないのだ

輪中と呼ばれた洪水防止の
円形の盛土の堤に似た
木曽川の水害から守るため
二重お囲い堤の地区から
名古屋都市圏へと続く
名鉄の単線終点駅へ
堤防をゆるやかに登る坂を歩く
車が僕の横を
どんどん通り過ぎて行く
目に入る人の顔は
クルマの明るいピカピカな
フロントガラス越しがほとんどで
自転車に会うことも珍しい

平成大合併でこの町が吸収された
一宮市の市街中心地ヘ
新しい二輌編成の赤い普通列車に乗る
ターミナル駅から幹線道路を一歩入った生活道路へ入ると
大通り沿いに
立ち並ぶマンションは
首都圏郊外に
たくさんあるのに似ていて
ついこの間まで
住んでいた街を思い出させる
かつての繊維街から住宅街に
変貌していた

30年ほど前に自転車で通った
まちなかを流れる小さな川沿いの
立つ桜並木は
遠目には少し靄がかり
煙っていた
つぼみのようすは
春がまだのせいか
まだ見られない



「お待たせいたしました、
いらっしゃいませ。 」

「カード忘れてしまったからレシートにしるし付けといてもらえんかね。」

「かしこまりました。
一週間後までにお持ちください、
加算させていただきます。」

「こないだの人はやってくれた
けどね。」

「次にこられた時に
おっしゃってください、
お願いいたします。」

「なるべく早めに来るでね、
ありがとう。」

NO3のレジマシンには
ガラス窓があり中には
鏡に囲われたキューブ体が
赤いレーザー光の
かすかな何列もの
交差する平行線が
バーコードの電子音に
共鳴し瞬間的にきらめく

僕の目の前には
年老いた老婆が特売の
一杯100円スルメイカをカゴを
差し出して
震えた指先で
百円玉をさがして
にっこりと
ありがとうという。

彼女は僕の今を見抜き
僕の手先がお札を
持て余して数える
おぼつかないその手先など
まるごと全ての
手の込んだ事情を読んだ上で
いつくしみ微笑んでいる

つい先ごろの
新年に入った一月には
予想もしなかった
こんな状況に変わり
つまりシゴトをカラダで
経験していると言う事実で

こうしたことが
起きていることは
目に見える世界には
通常あらわれることのない
みんなのそして僕の
脳の奥深い底で
何かが崩壊して
通じたに違いないのだ

東急沿線の地デジ工程管理の
最初の僕に似ている気がするが
今の僕は怒る激怒エネルギーを
費やしてはいず
その方向へも
むいてはいない





『 行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。

玉敷(たましき)の都のうちに、棟を並べ、甍(いらか)を争へる、高き、賤しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或いは去年(こぞ)焼けて、今年造れり。或いは大家(おほいえ)亡びて、小家(こいえ)となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中(うち)に、わづかに一人二人なり。朝(あした)に死に、夕べに生まるるならひ、ただ、水の泡にぞ似たりける。』


朝(あした)に死に、夕べに生まるるならひ、ただ、水の泡にぞ似たりける。
朝(あした)に死に、夕べに生まるるならひ、ただ、水の泡にぞ似たりける。

(方丈記 冒頭 鴨長明 )