2012年3月25日日曜日

「上げた腕ゆっくり下ろすだけで、みんな静かになるの 気持ちいいやろな。」



薄い雲は深い闇の中の空に
地上から照らされて
楕円形にぼんやり光っていた

エンジンの振動は安定して
ウインドーにも曇りはなく
前の小さなテールライトの
鮮やかな赤はぼやけずに
不規則に点滅する。
午後7時の122はジャンクションに近づいてもクルマはまばらだった
アクセルを大きく踏み込む
僕の背中の皮膚はその加速に
戸惑い震える

ほんの僅かのゆるやかなカーブは
ハンドルがなめらかにすべり
傾斜が少しメビウス帯のように
移りゆく流れは
クルマが命を持ち僕自身と一体ののように
風を限りなく軽く感じて走る



あの光る雲は
スタジアムの無数の照明が
美しく整備された芝の緑や
プレーヤーと同色のユニフォームのサポーターや
そのスタジアムを揺るがす満員の
大歓声や
何万人の一人一人の想いなどの
そのゲーム全体を照らした
反射光なのだ


「受付開始からずっと電話かけ続けて、話し中やってんけど、つながってん。」


「嬉しい、嬉しい、スゴーイ。」


「一階席のさ、まえから20番目やってさ。」


「やったー。」


フェスティバルホール、ロッドスチュアートで行ってんけど、
席がステージまでくだってて
音の良さで有名で
神が作ったホールって言われてるらしいで。」


「ホンマに嬉しいなー。楽しみやわー。」


彼らがデビューしたのは
僕が自分の部屋からコンサートチケットを取ろうと
必死に電話したその時から5年程前の事で
最初のデビューシングルは
聞き覚えをしてまるまる一曲
歌えるように繰り返し繰り返し
何度も聴いた。
彼らはまるでビートルズのように
和製ロックグループが日本にも
育って行く道を指し示すかのように
集中的に名曲を放った。
桑田佳祐のサザンオールスターズ。

「あんなふうに、上げた腕をゆっくり
 下ろすだけで、みんな静かになるの
 気持ちいいやろな。」


「そうやな。やっぱ天才やな桑田さんは
 歌詞がすごいなー。」


フェスティバルホールのステージでは桑田圭祐
がTシャツに青いジーパンにスニーカー
ギターを引きながら歌う


潮風が騒げばやがて雨の合図
悔しげな彼女と駆け込む
PACIFIC HOTEL
うらめしげにガラス越しに
背中で見てる渚よ
腰の辺りまで切れ込む水着も見れない
熱めのお茶を飲み
意味深なシャワーで
恋人も泣いてる
あきらめの夏


彼はそこで
両手両腕で歌い
体をよじり
腰をかがめ
切なく足をひねり
僕ら二人のこころに入ってきた
ホールの全員は
歌手桑田圭祐が呼び覚ました
日本の湘南の海の情景と
その恋心のうつくしさ
に誘われていた


そのときの歌のように
僕らは夏をあきらめて
ではなく
ただ僕だけが夏をあきらめたが
その後たくさんの彼らの曲を聞いていくうち
どういうわけか
いつのまにか
江戸時代の俳人
松尾芭蕉もそんな人じゃなかったかと
だんだんと思うようになった
桑田さんの使う日本語は
色や匂いがどうしても
日本そのままなのだった
なぜだか日本の自然そのままなのだった
このんで雨を歌うそのこころは
日本そのままなのだった
彼の歌う思い出はいつも
雨がこころに音を立てていた


そして奥の細道が呼んで誘う
美しい世界と同調していた
僕にはそう感じられて仕方がない


スタジアムを通り過ぎ
ウインドーがその大きな建物の黒いカゲ
でいっぱいになった
メビウスの帯の道路は
僕自身がオレンジ色に現像される
ネガフィルムになったように
角度を作り曲がっていく
僕の脳内もなぜだか曲がり始める


高架にあがったその道路は
東へおりて真っすぐに遠くの暗い街の
赤や黄色の小さなネオンに向かっていた
ウインドーには
ランプが青い行き先標示を照らしていた
そこには芭蕉が奥の細道で最初に宿泊した
街道の宿場の名前 春日部と記されていた





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