2012年2月11日土曜日

「その、手に職って言うのがプレッシャーなんです。」

 


真冬の午後5時
外気と室内温度差は大きく
その店の大きなウインドーは白く結露して
スタッフたちの動きの影が
ガラス越しにぼんやり映る
彼らの機敏なうごきが
店の中へ入ると目にはいった。


白い壁と高い天井に
奥行きもあるその建物では
ソファの右手の壁に
ミラーが奥までずらり

ドライヤーのコードを
丁寧にたたんで
ミラーの奥に収めながら
彼女はいった。

「Mr.Smith、こんにちは。
 あ、メガネあたしとおんなじですね。」

「よくかけてるんだっけ?
 あまり見ないよね。」

「今日は、ダメダメなんです。
 ほぼスッピンで何もしてないんです。」

「あー、まぶたが腫れちゃってる
 誰かなあ、泣かしたのは
 わるい奴がいるんだねー。」


「バレちゃいました?
そうなんです、
やっぱり昨日が休みなのが良くなかったんです、
テンション上がんなくって
下がっちゃってるんです。」






僕が以前仕事で行った
東武線沿線のある地域の
隣りの駅に近い実家に彼女は住んでいる
その話をした数日後
お休みに美容院の近くを歩いていた僕は
出勤途中の彼女に何度か出くわした
「明日、沖縄なんです、
買い物しなきゃいけないんで。」
ドラッグストアで
ポリ袋を下げたひげ面の僕を見つけると
明日の話をし出すような
気さくなシャンプーガールなのだ

「社員旅行なんだ、いいね。
バナナはおやつに入るの?
あ、遠足じゃあないんだ。」

あどけなく目が笑い
今日も口ぶりとはちがい
これからが楽しみなのが
十分に感じられた。
ゆび先でアヒルのクチバシを作り
僕は話す。


オレなんかさ、コレばっかでさ
 やってるだけでも、メシは食ってるからさ
 手に職の美容師さんはだいじょうぶと思うけどね」

「それなんです、その
 手に職って言うのがプレッシャーなんです。」

高田純次にあこがれ
彼をめざしている僕は
かるい調子でテキトーに話す

「問題ない、問題ない。」

「すごいですね、Mr.Smith
 前向きですね。
 やっぱりあたしウジウジはやで
 さはさばしたいから、明日はもう忘れちゃうから
 これでいいんです 大丈夫です。」



カウンターで会計を済ませ
おもく大きな木のドアから外に出る
クレンジングした頭皮と髪は
真冬の夜の空気がすがすがしい


月は
漆黒の闇の空から
白く混じり気のない反射光を
凍えるコンクリートへ解き放ち
僕のスニーカーを明るく照らしていた。
9歳のときのように尋ねても
こたえない満月はまだ沈黙して
過ぎ去ったその瞬間とひとしく
それぞれを優しく見守っていた。


この夜に
過ぎ去っていくその情景を
ぼくは背中で見ることができる
歩けばつぎつぎ脳裏に浮かび上りながれる


明るい店のなか彼女はいま
自分の豊かさを知り
彼女自身をいたわり
始めていくだろう。




2 件のコメント:

職務経歴書の書き方の見本 さんのコメント...

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。

Streamer Smith さんのコメント...

なかなか投稿しないので
読んでいただく方が少なく
コメントいただくのは新鮮です。

ごていねいなお言葉ありがとうございます。